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近代文学7

高見順『あるリベラリスト』

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土壌に咲く花

高見順(1907- 1965)『あるリベラリスト』昭和二六年(1951)五月で、戦後の文章の書き方について以下にみてみましょう。

原文(一部抜粋)

そして水瀨は、嘗つて秀島の前で稱揚したこともある、奥村氏の精神のみづみづしさといふものを、今は輕蔑したい氣持ちだと言つた。

あれは、尊重すべき精神的若さといふのとは別もので、たとへてみれば、にがりが無くていつまでもかたまらない豆腐みたいなものだと言つた。

「なにか大事なものが拔けてゐる」

「内部に、――と同時に、外部にも、それがあつたんぢやないのかな。つまり奥村さんの悲劇は、奥村さんのせゐでもあるが、奥村さんのやうなタイプを育てない、そして君の言ふ精神的敗殘者にしてしまふ、さうした日本の文化的土壌の罪といふことも考へられるんぢやないか」

分つてると水瀨は手を振つて、

「否定する譯ぢやないよ。だが、俺はさういふのには、もううんざりしてるんだ。うんざりどころか、さういふことばかり言つてると、結局、自分のなかの大事なにがりまで失つてしまふ結果になると、俺はこの頃、さう考へてゐるんだ。

の咲かない土壌だと百萬遍唱へたところでそれで花が咲く譯ぢやない。咲く花も却つて咲かせないやうにするだけだ。花の咲かない土壌かもしれないが、とにかくその土壌に生まれた以上は、どんなちつぽけな花でもいいから、死ぬ迄に何か花をひとつ咲かせたいといふのが、僕の氣持ちなんだ。」[1]

解説

異体字

  1. :称(ショウ)/称は稱の略体。禾+爯(手でものを持ち上げる)。穀物を持ち上げてはかる意。
  2. 神:(シン)/示+申(いなびかり)。天神の意。一般にかみの意。
  3. :軽(ケイ)/軽は輕の略体。車+巠(まっすぐ)。まっすぐ突き進む戦車の意から、かるい意。
  4. 殘:残(ザン)/残は殘の略体。細かくきる、そこなう意。また、のこりの意。[2]

歴史的仮名遣い

「たとへてみれば、にがりが無くていつまでもかたまらない豆腐みたいなものだと言つた。」

「たとへ」「言つた」は現代仮名遣いでは「たとえ」「言った」と書き、発音は現代と同じく「タトエ」「イッタ」です。この原理は「私は」と書いて「ワタシワ」と読む原理と同じです。

概要

高見順は太宰治坂口安吾と同世代の小説家。なかなかのハンサムにして、私小説だと思われる作品の数々は赤裸々で面白いです。

『あるリベラリスト』は、小説家である主人公・秀島と近所の小説家仲間の水瀬らが、同じ町に住む、人の話は聴かず独善的にしゃべり続ける奥村氏なる老人にヘンに好かれてしまうことに始まります。

次第に奥村氏の介護問題に巻き込まれ、秀島と水瀬らの仲間割れにまで発展、ある意味、現代的な内容となっています。上記一部抜粋は、秀島と水瀬がオールド・リベラリストである奥村氏の精神構造について語り合う場面。

高見順で他にオススメしたい作品は『生命の樹』。艶っぽくも品がいい、骨太恋愛小説。主人公が伊君なる人物に語りかけながら物語が進行していく、独特のスタイルにセンスのよさを感じます。

補註

  1. 伊藤整他 編集『日本現代文学全集85 伊藤整・高見順集』(講談社 、1963年)より引用。
  2. 林大(監修)『現代漢語例解辞典』(小学館、1996年 )参照。

近代文学

はじめに漱石葛西賢治太宰安吾/高見

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