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尾張藩鷹場11

提灯の種類と取り扱い

史料

提灯の取り扱い_尾張鷹場文書

※無断転載禁止

解読文

原文

此度御改革ニ付、兼而相渡置、御紋附挑灯用ひ方不相成筈ニ候処、格別之家柄も有之旁勘弁を以、是迄之通相渡置候、併右挑灯用ひ候儀者、御成等格別廉立候節相用ひ、平常御用向之儀者、御用挑灯相渡候間、右相用御紋附之儀者、締付置心得違無之候、可改候事

七月、戸山 御鷹方役所/高張一本、御用挑灯壱張/右之通、天保十三寅年七月廿五日、立川御陣屋請取

現代語訳

このたび(天保の改革に伴う、尾張藩鷹場御案内役跡目相続[註1]の)御改革の下、予め渡し置いた御紋付きの提灯(挑灯)の用い方に(家来や身分の低い者どもが御紋付きの挑灯を持って寄り合い、不法の事々がある[註2]など)不備があった。

特別の家柄(古くから御案内役を務める村野栄左衛門・高橋覚左衛門・倉片退蔵)もあり、いずれにしても許し、これまでの通り渡して置く。並びに右提灯用いる際は、殿様御成など特別の事情の際に用い、平常の治安維持の際は御用提灯を渡すので、右用いる御紋付き提灯は(幕府の提灯と紛れぬよう[註3])取り締まりを厳しくして考え違いのないように改めること。

七月、戸山(現 新宿区)御鷹方役所/高張提灯一本、御用提灯一個

右の通り、天保十三(1842)年七月二五日、立川御陣屋より受取り。

解説

史料は、尾張藩鷹場御案内役・當麻弥左衛門の御用留、すなわちメモです。学習方法その1でお話しましたが、当史料は中央の政治として天保の改革、地域の政治として尾張藩鷹場における組織御案内役などを知らないと全く意味が通じません。現代語訳ではそれらを補いながら作成しました。

江戸時代の提灯

提灯の歴史は比較的浅く、室町時代禅寺によって普及。江戸時代中期(ろう)が量産されるに伴い、多くの種類が登場しました。

高張(たかはり)提灯は、長い竿先や棒の上に取り付けて用いた提灯で、もっぱら目として利用されました。火事などの非常の際はもとより、婚礼・葬儀などにも用い、役所の公務用の標識などに用いました。

一方、手軽に持ち歩ける、ぶら提灯も便利で重宝されました。これらの提灯にはすべて家紋、家名、屋号、役職などを書き入れ、無印のものは使われませんでした。

史料

高張提灯は鷹場の役宅門前に置かれるの意で、史料文中の廉(かど)を門(かど)と解してもよいと思います。然しながら当頁では、平常時の御用提灯に対しての高張提灯として現代語訳を作成しました。

幕府は文政改革に先立ち関東取締出役を創設。関東取締出役が強力な警察権を持って尾張鷹場も巡見すると、以前より治安維持を担っていた御案内役などの鷹場役人と競合、混乱したと思われます。

時代背景を鑑みれば、史料の提灯の絵に家紋が見えませんが、徳川宗家と尾張藩はデザインが異なる葵紋で紛らわしいので、わかりやすい印として「尾州」と「鷹」が重要になってきたと考えられます。

補註

  1. 御預り村と御案内役 序列 参照
  2. 小平市中央図書館所蔵 當麻家文書 M-1-1 参照
  3. 註1 同文書 参照

史料情報

  • 小平市中央図書館所蔵 當麻家文書 M-1-12,11 尾州御用留
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参考文献

  1. 小平市中央図書館『小平市史料集二二集 鷹場2』(小平市教育委員会、1998年)
  2. 金箱正美「ちょうちん(提燈)」『国史大辞典9』(吉川弘文館、1979年)632-633頁

尾張藩鷹場

概要:鷹狩鷹場組織御預り村と御案内役

鷹場法度:第一条~四条~七条~期限合札幕府鷹場

御用留:提灯・八王子千人同心雉殺生人