尾張藩鷹場
物理施設
尾張藩鷹場の支配は、江戸は和田戸山(東京都新宿区)にあった、戸山屋敷内に置かれた御鷹方役所があたりました。寛政以降幕末まで、この戸山屋敷の下に新座郡下保谷村(西東京市)、多摩郡立川村(立川市)、入間郡水子村(富士見市)の三ヶ所に陣屋を置きました。
役人
御鷹方役所には、東村山市史によると鷹匠、鷹場吟味役、鷹目付、鳥見などの役人が置かれました。彼らの個々の詳しい職責については不明な点も多く、正確なことはよくわからないのですが上記図に示しめしました。
鳥見
見廻り役とも呼ばれる鳥見(とりみ)は、享保の時点では一八人いましたが、天明以降、一年交代で六人になり、前述の三陣屋に派遣されました。また尾張鷹場の鳥見は同藩の武士です。
隣接する紀伊藩鷹場の鳥見は、はじめ六人のちに八名ですが、「藩の家臣から選ばれたのではなく、鷹場内の有力農民から抜擢されたのに特徴がある。」[文献2]
鳥見配下
尾張鷹場の鳥見配下には、御鷹場御預り御案内という不思議な職分の人々と、鷹の餌とする小鳥を捕らえる餌差(えさし)が置かれました。
参考文献
- 東村山市史編纂委員会編『東村山市史』(東村山市、1971年)
- 大橋毅顕(たけあき)『紀伊家鷹場に関する資料を読む』平成30年度 埼玉県立文書館 古文書講座中級編 第1回資料(2018年10月3日)
- 槇本晶子「尾州藩の鷹場について」『多摩のあゆみ 第50号』(多摩中央信用金庫、1988年)
- 宇野藍子『古文書講師になれました』(柏書房、2017年)