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尾張藩鷹場13

鷹場村を通行した雉殺生人

史料

雉子三羽殺生_尾張鷹場文書

※無断転載禁止

解読文

以書付奉願上/一 去九日暮方当村地内往来通殺生道具雉子三羽網袋二入通行仕候処、安藤市平次様・伊藤市蔵様御廻村先二而御見咎二相成、然処殺生人共右諸色捨置何方へ歟逃去申候、

仍而居村者不及申隣村外迄篤と相糺申出候様被仰付候二付、是迄居村壱人別吟味仕、隣村役人共申談夫々相糺候へ共、更二風聞も無御座、一向相知不申候、定而御場外之者二も御座候哉

殊二私儀承候役儀於当村ヶ様之儀、出来甚以心配恐入奉存候、何卒御仁慈を以、御手軽二御聞済被下置候ハヽ、小前百姓共迄相助難有仕合奉存候、以上

天保五午年四月廿七日/御案内格 当麻弥左衛門/御鷹場御役所

現代語訳

書付をもってお願い申し上げます。(四月)九日暮れ方、当村(大沼田新田:東京都小平市)寺社内の往来の通りで殺生道具並びに雉子(きじ)三羽を網袋に入れた者が通行。(尾張鷹場役人)安藤市平次様・伊藤市蔵様が御廻村先にて見付けて咎めたところ、殺生人どもが右の品々を捨置き何方へか逃げ去りました。

よって当村に住む者は言うまでもなく、隣村の外まで篤と糺し申し出るよう命じられました。これまで当村一人ずつ取り調べ、隣村役人共へ話し合い一人ずつ糺しましたが、更に噂もなく一向に知れません。恐らくご場外の者でしょうか。

特に私は御案内役を務め、目下当村においてこの様なことが起こり甚だ心配で恐れ入り存じます。何卒御仁慈をもって簡単に聞き届けていただければ、一般百姓どもまで助かり有り難き幸せに存じます。以上

天保年四月廿七日/御案内格 当麻弥左衛門/御鷹場御役所

解説

鷹場内において殺生道具並びに雉子三羽を網袋に入れた者が通行していた。これについて下記三点に注目してみましょう。

1.何が問題か。

鷹場法度第一条によって鷹場内で殺生禁止であることはもとより、第六条で飼い鳥も禁止、大鳥・小鳥、巣にある雛さえ取ってはいけません。

2.どのように対応、処置すべきか。

法度第一条により、外より入って殺生する者に対しては尋ね、第六条にもおいても飼い鳥、鳥を取っている等の者に対して、報告せよとあります。要は、不審者を見つけたらホウレンソウ(報告・連絡・相談)せよと。

史料を読み解くと、鷹場役人も御案内役の当麻弥左衛門もそのように対応していることがわかります。

3.雉は何に使う?

中世、鳥といえば雉の肉で、鷹狩の獲物の雉は最高の馳走として「鷹の鳥」と呼ばれました。中世末には鶴・雁と共に三鳥と呼ばれ珍重されました。近世武家社会では鶴が最高位となり、雉は往生際が立派なので、武士は食膳によく用いたそうです。

文久二年(幕末)はしか童子退治図において、はしかを患った際に忌むべき食べ物として鳥類を挙げています。当史料に接するまで、勝手に鶏を思い浮かべていました…。けだし、雉を食べたことがある方もいらっしゃるかと思いますが、現在は雉を食べること自体が稀です。

ともあれ当史料により、鳥の扱いに関して鷹場村は法度通りに運営していることがわかり、また法度の理解の助けとなります。よってくずし字が非常に読みづらいですがご参考ください。

史料情報

  • 小平市中央図書館所蔵 當麻家文書 M-6-2,29
  • 当サイトは同館から掲載許可を頂いてます。
  • ※無断転載を禁止します。

参考文献

  1. 小平市中央図書館『小平市史料集二二集 鷹場2』(小平市教育委員会、1998年)
  2. 金子浩昌・佐々木清光・小西正泰・千葉徳爾『日本史のなかの動物事典』(東京堂出版、1992年)

尾張藩鷹場

概要:鷹狩鷹場組織御預り村と御案内役

鷹場法度:第一条~四条~七条~期限合札幕府鷹場

御用留:提灯八王子千人同心・雉殺生人