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尾張藩鷹場

八王子千人同心の鉄砲稽古はアリ?

史料

八王子千人同心_尾張鷹場文書

※無断転載禁止

解読文

八王子千人同心相勤候者共御鷹場内村々二有之、右頭 西洋流鉄砲銘々預ヶ二相成、居村おいて筒払又者稽古等いたし候趣二付而者、御場内御定法相背候筋二付、細川越中守殿へ御問合相成候処、

千人同心頭ハ鉄砲預ヶ候節、居村おいてハ百姓之人別二付、鉄砲稽古者勿論、請落し等いたし候儀決而不相成候趣申渡有之候旨、右家来返答有之候間、

右之段相心得村々おいて、右役相勤候者とも心得違之者有之候ハヽ、急度差留方取計、不相聞者共有之候ハヽ早速役所江相達候様可得心候、尤承知之上早々順達、納所 水子陣屋江可相返之候事

午六月 戸山御鷹方役所/七月九日高橋氏 受取、即刻倉片氏へ継/御案内一統江廻り

現代語訳

八王子千人同心を勤める者どもが、御鷹場内の村々にいる。右の頭は、西洋流鉄砲を各自に預けて、居住村において銃砲の筒を掃除または稽古等していた。これらは、御場内御定法(鷹場法度第五条)に背く道理。

ついては(熊本藩主・相州警備)細川越中守(斉護/なりもり)殿へ御問合せした。「千人同心頭は鉄砲を預けたさい、居住村おいては百姓の戸籍だから、鉄砲稽古は勿論、紛失等は決してしてはならないこと、申し渡してある。」と右家来から返答があった。

これにより右のことを心得て、(鷹場の)村々おいて千人同心役を勤める者どもに心得違いの者がいたならば、必ず差留方(抑えとどめる担当)に取り計らうこと。言うことをきかない者共がいたならば、早速役所へ報告するよう得心すべきこと。当然承知のうえ早々廻状を送り、納める所・水子陣屋へ返すべきこと。

安政五年六月戸山御鷹方役所より。七月九日(私・當麻弥左衛門は)高橋氏から受取り、即刻倉片氏へ継ぐ。御案内一同へ廻り。

解説

概要

史料は尾張藩御鷹場御案内役の當麻弥左衛門の御用留(メモ)です。幕府直属の八王子千人同心が、その居住村である尾張藩鷹場で鉄砲の稽古していました。これは鷹場法度第五条に抵触する行為なので、御鷹方役所が細川斉護に問い合わせしてみたとのこと。その詳細は史料の通りです。

細川斉護

細川斉護(なりもり/1804-1860)は、熊本藩主細川家一〇代。細川護熙(もりひろ)元首相のご先祖にあたります。嘉永六年、相州警備を命ぜられた細川藩主斉護は、直書をもって家老の長岡監物(米国是容)を相州警備の総帥に任命しました。

ポイント

そもそも千人同心は、何故鉄砲の稽古をしているのでしょうか。

嘉永六年(1853)にペリーが来航したことにより、斉護は相州警備を担いました。五年後の安政五年(1858)六月、日米修好通商条約締結。これは当史料でいうところの、戸山御鷹方役所から通達を受けた年月です。その五年後の文久三年(1862)千人同心は横浜警備に付きました。

すなわち、千人同心は虚栄心などから鉄砲稽古をしているのではなく、幕末の危機迫る状況によって、幕府から鉄砲を持たされて稽古をしていたのです。しかしこれが、鷹場においては"御法度"なわけです。

史料から何を読み取るべきでしょうか。幕末によって、鷹場と幕府のルールの矛盾が先鋭化、また幕末期の鷹場の動揺が読み取れます。また逆に、史料を正確に読み取るためには史料に書かれていないこと、鷹場法度と八王子千人同心の知識が必要になります。

蛇足

史料末尾にある廻状の廻り方について、御預り村を確認すると、高橋→當麻→倉片とちゃんと隣りから隣りへ廻していることが確認できて面白いです。

  

史料情報

  • 小平市中央図書館所蔵 當麻家文書 M-1-15 弘化4御用留
  • 当サイトは小平市立図書館から掲載許可を頂いてます。
  • ※無断転載を禁止します。

参考文献

  1. 小平市中央図書館『小平市史料集二二集 鷹場2』(小平市教育委員会、1998年)
  2. 吉岡孝『八王子千人同心 (同成社江戸時代史叢書)』(同成社、2002年)

尾張藩鷹場

概要

鷹狩とは鷹場とは鷹場組織御預り村と御案内役

鷹場法度

第一条~三条第四条~六条第七条~九条期限、差出人合札取扱い、宛名

御用留

提灯の取り扱い/八王子千人同心

公開