御預り村
尾張藩鷹場は、地域ブロックごとに管理され、各ブロックを代表するのが御鷹場御預り御案内(以下、御案内と言う)です。
御案内は、いずれも在地有力農民から召し出されています。宝暦三年(1753)の時点で六人だった御案内は、天保期から一〇~一一人の組織に編成。このうち元禄以前にも御案内を務めていた家は、村野と高橋のみで後は新しい面々。
御案内のおよそ二倍の人数の増加については、槇本晶子氏[文献1]によれば、百十八カ村にも及ぶ村をたった六人の御案内で取り締まるが困難だったのではないかと見解を述べています。
図の白丸は御案内の居住地を示し、倉片氏は現所沢市、當麻(たいま)氏は現小平市となります。
御案内
身分
御鷹場を案内する「御案内」役は、あくまで身分は農民ですが名字、刀を許され、農民と武士の間のような存在。御案内のほか地元では、八王子千人同心などもそのような位置に属します。
序列
御案内の中にも、本役、並役、見習と序列がありました。
御案内の由緒ある家柄は、元禄以前より御案内を務めていた村野栄左衛門、高橋覚左衛門。および他の御案内とさほど勤続年数が変わらない倉片退蔵を加えた三人です。
天保の改革に伴って、鷹場では天保一二年に跡目相続改正があり、本役交代の際、跡目は並役から繰り上げとなりました。しかし嘉永七年に「由緒ある」村野・高橋・倉片の三氏においては世襲を認めました。
力をもって村の有力者および御案内となった榎戸・當麻などは「驚入(おどろきいり)」、役所に窺(うかがい)を出すことに。提灯の取り扱いにおいても、鷹場役所の由緒ある家柄への気遣いが見て取れます。
職責
御案内の職責は多岐に渡り、主なところでは鷹場法度の読み聞かせ、案山子・家作・普請願の許可、役人見廻りの送迎、鷹狩の際の案内、鷹場内の検分などです。
御案内は個々に活動しているというよりは、常に連絡を取り合い、相談しながら尾張鷹場全体を守っています。リーダー(年番)もあって、これは一年ごとの輪番制。会合場所はどこのお宅だと思いますか。
常に倉片家です。理由はわかりませんが、当時から所沢は商業が発達していて交通の便よく、地理的にも尾張鷹場の真ん中で都合がよかったのではと推測されます。
参考文献
- 槇本晶子「尾州藩の鷹場について」『多摩のあゆみ第50号』(多摩中央信用金庫、1988年)
- 本間清利『御鷹場』(埼玉新聞社、1981年)
- 宇野藍子『古文書講師になれました』(柏書房、2017年)