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鯰絵その2

鯰絵(地震雷火事親父)から鹿島神の謎に迫る

史料

地震雷火事親父_鯰絵

※無断転載禁止

現代語訳

地震拳(地震勝負)

♪さても今度の大地震、家はグラグラ、大変な人は慌てて、どっちの方へ参りましょ。アイ!土蔵(どぐら)と瓦で潰されて、親父子供が叱られて、やっとハイハイ逃げ至って、こっち方へサア来なせえ。

火事の所々へ燃え上がり、逃げる人こそ身ぴょこぴょこ、またグラグラ、どっちの方へ参りましょ。アイ!やたら一途に駆け歩き、爺様(じさま)が婆様(ばさま)の手を引いて、入る内こそあればこそ、おへサア来なせえ。

♪さても降り出す大雨に雷はごろごろ、光、皆びしょ濡れ、野宿はできません。アイ!大変大変、大騒ぎ。大工さんは手間賃を上げて叱られた。これなら段々世が直り金儲てサアきなせえ。

>>原文解読文

解説

地震雷火事親父とは

地震雷火事親父とは、日常、人々の恐れるものをその順に列挙していう語(広辞苑)。しかし当史料の鯰絵を的確に捉えるなら、そのような一般論だけでは不充分なのです。

鹿島神宮 雷神と要石

東国の常盤国(茨城県)鹿島神宮が祭るは、建御雷命(たけみかずち‐の‐みこと)で雷神とされています。

雷と地震はともに震の卦により象徴され、それは両方とも五行説の木気。すなわち雷神としてのタケミカツチ(建御雷命)は、同時に地震の神です。

要石(かなめいし)は、鹿島神宮境内にある石を言います。これは、吉野裕子[文献]の説によれば、地震の神としてタケミカツチの動きを鎮める対震呪術の石。その理由は、鉱物である石は五行説の金気で、「金剋木」の理によって、木気の(東国に在る)地震神は石によって容易に鎮められるからです。

古代日本人は、陰陽五行および『易』の理によって、地震といえば木気、地震の神といえば東方木気のタケミカツチ、と明白に意識していました。

鯰の登場

然しながら鹿島神を忘れてしまったか、要石の権威を奪って登場したのが鯰。

本来地震は木気ですが、鯰絵の地震は、頭・額は平たく、泥中に潜む土気の鯰によって象徴されます。これによってややこしいのですが金剋木ではなく、「木剋土」の理によって土気の鯰は木気の雷に敗れる[]図式になります。それでは改めて史料の鯰絵を確認しましょう。

地震が起こり、親父に子供が叱られ、火事が所々燃え上がり、最後に雷はごろごろ稲光にあう――木剋土、土気の地震が、最終的に木気の雷(タケミカツチ)に制圧され――「土生金」、世が直りを儲ける(金=要石)。地震雷火事親父ではなく、地震親父火事雷の順で話が進行していることにも注意されたいです。

原文

地震(ちしん)けん

扨(さて)もこんどの大ぢしん、家(いへ)はぐはら/\大へんな人はあはてゝ、どつちの方へ参(まい)りましよ

合、土蔵(どぐら)と瓦(かわら)でつぶされて、親父(おやぢ)に子供(こども)がしかられて、やつとはい/\にけ至して、こつちの方へサアきなせへ

〽火事(くわじ)の所々(しよ/\)へもゑあがり、にげる人こそ身ぴよこ/\、またぐら/\、どつちの方へ参(まい)りましよ

合、やつたら、むしやうとかけあるき、ぢ様(さま)がば様の手を引(ひい)いて、はいる内こそあらばこそ、お舟(ふね)へサアきなせへ

〽扨もふり出す大雨(おゝあめ)に、らいはごろ/\、いなびかりみなびしよぬれ、野宿(のしゆく)はできません

合、大へん/\大さはぎ、大工さんは手間(ま)を上(あげ)てしかられた、これなら段々(だん/\)世(よ)が直(なを)り金設(かねまうけ)てサアきなせへ

補註

吉野裕子[文献]は、鯰絵に関しての冒頭に「地震・雷・火事・親爺」を挙げる。そして「鯰絵のナマズが、しばし鹿島神の手にする要石によって取り抑えられている」。「金剋木」ではなく、当史料のような「木剋土」としての鹿島神や雷の鯰絵においての邂逅はなかったようだ。

参考文献

吉野裕子『陰陽五行と日本の民俗』(人文書院、1983年)第三章「第一節 対震呪術」110-123頁

史料情報

  • 表題:地震けん(地震雷火事親父)(鯰絵)
  • 年代:安政2(1855)/形態:一枚
  • 埼玉県立文書館寄託 小室家6363-5
  • 当サイトは埼玉県立文書館から掲載許可を頂いてます。
  • ※無断転載を禁止します。

鯰絵

持丸たからの出船/地震雷火事親父

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