現代語訳
持丸(もちまる:金持ち)宝の出船(でふね)
ナマズ「もし旦那、あなた、普段あんまり下方の者に厳しく迫り、難儀をさせるから、このような苦しい思いをなさるのだ。これから心を直して、慈悲・善導を、なさるがよろしゅうござります。」
拾い手「これこれ手元の宝は、そんなに欲張るな。まだまだゆっくり拾ってもたくさんだ。いい加減にして、遊郭へ出かけるといい。そうよそうよ、拾ろたって地震でひどい目に逢うといけねえから、遊郭へ行って使ってしまう方がいい。あちこちへの融通になるだろう。」
持丸「嗚呼、切ねえ切ねえ、せっかく詰めて拾い貯めたのを、一度に吐くとは馬鹿バカしい。何てことだ、こういうことなら、今まで使えばよかったゲイゲイゲイ~」
>>原文解読文
解説
鯰絵とは
江戸時代、地震を描いた錦絵を鯰絵(なまずえ)と言います。安政ニ年(1855)一〇月二日、江戸を襲った大地震の直後から、多く発行されました。
然しながら鯰絵は、地震源の鯰というよりむしろ復興をもたらす福の神、すなわち世直しとして描かれています。例えば大判小判を吹き出す鯰や、大工・職人・町人らに取り囲まれて大尽(だいじん:遊里で多く金をつかう客)遊びをする大鯰などが多く描かれています。
江戸壊滅の知らせは直ちに各藩にもたらされ、国元では江戸屋敷復旧のために物・金・人が江戸にすぐに送られました。また江戸の裕福な町人は、慣習に従って店子(たなこ)や出入りの職人に、金や米を施しました。
その結果、日常的に起こりえないほど、物・金・人が江戸に集まりました。そのため江戸の庶民は、世直しが行われるのでは、と一時的な希望を抱き「地震 鯰絵」が大いに流行したのでした[文献1]。
何故ナマズなのか
それにしても何故地震源が鯰なのでしょうか。吉野裕子[文献2]の説に則り解説します。中国思想では天は円、地は方形。鯰は頭・額が平たく、口が方形。また、水底深く泥の中に住む等の理由により五行説の土気に属します。
土気の塊りとして鯰が動くことにより地震が起こり、この土気の妖怪・鯰さえ取り押さえれば地震を防ぐことが出来る。と考えたのは、自然の成り行きでした。また土気の鯰は「土生金」(どしょうきん)の理で金気、黄金を生み出すものです。鯰絵が世直しの意味をもつのも、この理屈によります。
かくして史料を見ると、鯰絵の特徴と論理が多分に発揮されているのが確認できると思います。
原文
持丸(もちまる)たからの出船(でふね)
なまづ「モシ、たんな、あなた、ふだんあんまり下方の者をつめて、なんぎをさせるから、 このよふな、くるしいおもひをなさるのだ これから心をなほして、ぢひぜんとんをなさるがよろしふござり升
ひろいて「これ/\、てまへたちは、そんなによくばるな、 まだ/\ゆつくりひろつても、たくさんだ いゝかげんにして、かりたくへ出かけたがいゝ□□(二字欠損)そふよ/\ひろいためて、ぢしんにひどいめにあうといけねへから、 仮宅へいつてつかつてしまふほうがいゝ、諸方へのゆうずうになるから
持丸「アゝ、せつねい/\、せつかくつめて、ひろひためたのを、 いちどに、はくとはばか/\しひ、なんのことだ、かうゆふことなら、 いままでつかへばよかつたゲイ/\/\」
参考文献
- 東京都江戸東京博物館 学芸課展示係 編『図表でみる江戸・東京の世界』(東京都江戸東京博物館、1998年)「災害情報と復旧_安政江戸地震の情報伝播」109頁
- 吉野裕子『陰陽五行と日本の民俗』(人文書院、1983年)第三章「第一節 対震呪術」110-123頁
史料情報
- 表題:持丸たからの出船(鯰絵)
- 年代:安政2(1855)
- 埼玉県立文書館寄託 小室家6363-4
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鯰絵
持丸たからの出船/地震雷火事親父