解説
安政の大地震における江戸の町人の死者数は約四七〇〇人で、そのなかには新吉原の焼死者一〇七四人が含まれていました[註]。
史料は見開きの絵で、右側の絵は前項にくずし字とともに解説しました。かくして左側のこの絵は、安政地震前の深川の岡場所(吉原以外の売春街)の賑わいにして儚さを描いていると推察します。
鯰絵(持丸たからの出船)は前向きに?「ぢしんにひどいめにあうといけねへから、 仮宅へいつてつかつてしまふほうがいゝ」と言っています。
はしかの大流行に際しては、はしか絵として花魁と禿が描かれています。当時の絵師や物書きにとって、厄介や災害に対しても遊郭は外せない被写体なのではないでしょうか。
補註
東京都江戸東京博物館 学芸課展示係 編『図表でみる江戸・東京の世界』(東京都江戸東京博物館、1998年)「地震の被害_安政江戸地震[1855年]地震分布」106頁
史料情報
- 表題:安政見聞誌 上
- 年代:-(江戸時代)/一勇斎国芳・一度斎芳綱・鶯斎国周 画
- 埼玉県立文書館寄託 小室家2743
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安政見聞誌
1.概要 2.京橋 3.深川 4.生きた心地なし 5.岡場所