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安政見聞誌2

京橋の四方蔵の活躍と焼失

史料

全体図

京橋の地震災害_安政見聞誌

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京橋の四方蔵_安政見聞誌

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十字路の角々の四軒:奥の立派な二階家が堺屋、左側に山崎、大通り隔て火に飲み込まれそうな蔵が堤、道を隔てた隣りが太刀伊勢屋。

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京橋の地震災害_くずし字

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現代語訳

京橋のまた南伝馬町三丁目の十字路の角々四軒の商家は、みな土蔵作りだ。これゆえ十字にして京橋の四方蔵(しほうぐら)という。

この辺は祝融(ひのかみ:中国で火を司る神)の災(わざわ)いあっては、この土蔵、火を防ぐ助けとなって隣りの人のためにもよい[帳(とばり)カ]と言い合うのを、祝融、常に嫉(ねた)ましく思う。

この度地震の神々は心を合せ、棟(むね)を傾け瓦落ち、壁を落し、炎々と火を延(ひ)き見る間に灰塵(かいじん:灰と塵)となった。嗚呼惜しむべし。

街(ちまた)の出火は一時に煙となりぬることを、今も地震祝融等(ひのかみたち)の□日(-ひ)の神は何如この悪行をなすや。子(嘉永五:1852年)の春に四方蔵の境・山崎・太刀伊勢屋・堺屋の四ツ題にて戯(たわむ)れに、淀(よど)ならぬ 堤(つつみ)も春の たちいせや、としのさりひや かすむ山崎

と詠んだのも今やその家を見て、その蔵なきを歎息する。然しながら武蔵野の廣(ひろ)き御恵(めぐみ)の露(つゆ)は、民(たみ)[幹(みき)カ]の末葉(すえば:子孫)にまで、もらさず潤し合えば、再び普請(ふしん)成就して繁栄の始めに百倍にすべしという。 一度斎芳綱画

>>原文(史料解読文)

解説

史料は安政の大地震により、現在の東京都中央区京橋・南伝馬町三丁目(史料左下)から火が上がっている様子を描いています。祝融はここでは「ひのかみ」、広辞苑や漢和辞典では「しゅくゆう」で意味は同じです。

四方蔵以外の周りの白い蔵や家は、地震によりほとんど倒壊してしまっていますが、四方蔵により祝融がねたむ程に火の妨げになったと記されています。

人々の多くは荷物を背負い、南伝馬町三丁目の十字路から京「橋」に向かって逃げています。一見、冷静沈着な印象を与える絵ですが、目を凝らしてみると非常に緊迫した状況が描かれています。

ところでこの地震での土蔵の全壊数は、約一四〇〇棟で関東大震災の約三六倍でした[]。

原文

京橋の北(きた)亦南伝馬町三丁目の十字街(じつつじ)の角々四軒(けん)の商家皆土蔵作(つく)り也、此故十字して京橋の四方蔵(しはうくら)と云り、此辺(このあたり)祝融(ひのかみ)の災(わさはい)ありては、此土蔵、火を防の助と成(なり)により、隣(となり)の人の為にも、よき□(-)といひあへるのを祝融(ひのかみ)常(つね)に嫉(ねた)ましとや思へる

此度地震(ちしん)の神々心を合せ、棟(むね)を傾(かたむ)け瓦(かわら)落(おち)、壁(かへ)を落し、炎(えん)々と火を延(ひ)き見る間に恢燼(くわいじん)となせり、嗚呼(あゝ)惜(をし)むべし

街(ちまた)の火現(びくはん)一時に烟となりぬることを、今も地震祝融等(ひのかみたち)の□日(-ひ)の神何如此悪行をなすや、子此春四方蔵の(宛名(-な)、境・山崎・太刀伊)勢屋・堺(さかい)屋の四ツ題にて戯(たはぶ)れに淀(よと)ならぬ堤(つゝみ)も春のたちいせや、としのさりひやかすむ山崎

とよめりしも今やその家(いへ)を見て、その蔵(くら)なきを歎息(たんそく)す、しかしなから、むさし野の廣(ひろ)き御恵(めぐみ)の露(つゆ)は民(たみ)幹(みき)のすゑ葉(子孫)にまでもらさす潤しあへれば、再(ふたゝ)ひ普請(ふしん)成就(じやう)して繁栄(はんえい)はしめに百倍(ばい)にすへしといふ 一度斎芳綱画

補註

「地震の被害」『図表でみる江戸・東京の世界』(東京都江戸東京博物館、1998年)106頁

史料情報

  • 表題:安政見聞誌 上
  • 年代:-(江戸時代)/一勇斎国芳・一度斎芳綱・鶯斎国周 画
  • 埼玉県立文書館寄託 小室家2743
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