瓦版とは
概要
瓦版(かわらばん)とは、江戸時代に摺られた、日本の新聞の元祖。しかし定期刊行ではなく、多くは半紙一枚刷りでした。
由来と歴史
その名は、①急を急ぐため、初期は粘土に文字や絵を彫り瓦に焼いて原版にした、②四条河原の興業を知らせる摺り物、③卑しい河原者が売り歩いていた、などによると言います。ともあれ瓦版と呼ばれるのは幕末期以降。売り手が大声で読みながら売ったことから、一般には読売(よみうり)と言われていました。
かわら版の第一号は、慶長二〇年(1615)大坂落城時の「大坂安部之合戦之図」「大坂卯年図」とされています。これらは幕府側の記事で埋められ、幕府が勝ったことを称えるものとなっています。
内容と特徴
その後マスコミという観念ができ、社会的に影響を持つようになりました。内容はニュース性に富んだもの多く、洪水・飢饉など天災等の速報から、仇討ちや役者の消息、象見世物等の娯楽まで多岐に渡ります。しかし一度に多数の一枚摺(いちまいずり)が出たのは安政二年(1855)江戸に起った大地震でした。
政治的ニュースは、幕府の禁圧をこうむることが多いですが、新将軍就任や外国使節来日などは報じることが認められていました。嘉永六年(1853)黒船来航後は、和宮降嫁や長州征伐など様々な事件が起こり、政治色を帯びたものが増加。
大部分は無届け出版により無刊記のため、日付および作者・画家の名がないのが少なくありません。また版元名が載っていても「要石堂」「瓢磐堂」「武陽能調堂」など偽名・戯名(たわれな)です。
表現形式は記事、災害地図、絵、戯文(ぎぶん)、鯰絵に代表される戯絵(ざれえ)などがあります。色は墨摺りが多く、多色摺もあり、袋付きで売られたものもありました。
作り方
- 事件が起きると、かわら版屋(はんや)が専門の執筆者に原稿を頼み、画家には絵を頼む。
- できた原稿は版木(はんぎ:木版)に貼り、彫師に掘らせて元版(げんばん)を作る。
- 2.の版木に刷毛(はけ)で墨を塗り、刷屋が紙を当てて刷る。
ポイント
- 版木は、印刷するために文字や絵などを彫った木の板。日本では主に山桜、中国では古く梓(あずさ)を使用。
- 大きな所では分業で、小規模のモグリなどは一人で一貫作業した。
売り方、値段
事件ものの際物師(きわものし)は、昼間の呼び売りで「さあ、大変だ、大変だ!」と人を集め、内容をちょっぴり聞かせ気を持たせて売りました。
また頭に手拭を巻き粋な身なりで、一本箸で紙面をさしながら売るのは唄もの師。美男が多く、美声で「よみうりは箸一本で飯を食ひ」と際物師と違った方法で人を集めました。
値段は、寛政一〇年(1798)一枚もの四文(約50円)、安政五年(1858)二枚で一六文(一枚あたり八文=約100円)。しかし瓦版の大きさは様々で、一概に言えません。
参考文献
- 中山榮之輔「安政の巨大地震と瓦版」稲垣史生(監修)『江戸の大変 かわら版〈天の巻〉』(平凡社、1995年)69-77頁
- 松島栄一「瓦版」『日本歴史大辞典3』(河出書房新社、1985年)253頁
- 小野秀雄「瓦版」『国史大辞典3』(吉川弘文館、1983年)757頁
史料情報
瓦版
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