解読文
原文
行状自若(じしやく)として、泰山(たいさん)の如(ごと)く、夜(よ)い子(ね)に臥(ふし)て寅(とら)に起(おき)て、諸州(しよしう)の人語(じんご)をきゝわけ、
水をゆくこと平地(へいち)のごとく、火(ひ)を消(けす)こと恰(あたか)も草(くさ)を刈(かり)に似(に)たり、力量(ちから)千斤(せんぎん)の鑊をおひ、鼻(はな)に千曳(ちびき)の巌石(いはお)を巻(まき)、水源(すゐけん)をうがち、金蔓(きんまん)を推(すい)し、
とく気(き)を退(しりぞ)け清浄(せいじやう)をこのめり、象骨(ざうこつ)象牙(ざうげ)の人に霊(れい)ある、世(よ)に益(えき)あるは普(あまね)く人(ひと)の知処(しるところ)にして実(しつ)に泰平(たいへい)の祥獣(しやうじう)といふへき而已(のみ)
文久三年癸亥 弥生上旬 太夫元に代りて稗官 仮名書魯文訳誌
※()における仮名ルビにおいて、不明瞭な文字は省略した。
現代語訳
象の行動は、自若として泰山のようだ。象は夜の子(12時)に臥して寅(4時)に起きる。様々な国の人語を聴き分け、水辺は平地のごとく歩き、火を消すことはあたかも草刈りに似ている。
力は600キロの平鼎(ひらがなえ)を背負い、鼻に千人分の重さの大きな石を巻き、水源を掘り当て金蔓(かねづる)を推しひろげる。毒気を退け、清浄を好む。象骨象牙を持つ人に霊がある。世に益があることは、あまねく人の知る所にして実に泰平の祥獣(しょうじゅう)というべきだ。(以下略)
解説
用語
- 泰山(たいざん):山東省中部(魯国)にある中国の代表的な名山。「李氏、泰山に旅す…曾(すなわち)泰山を林放(りんぽう)に如かずと謂(おも)へるか」『論語』八佾06
- 千斤(せんぎん):一斤=一六〇匁、一匁=3.75g/600g×1,000斤=600kg
- 鑊(ひらがなえ):浅く平たいかなえ。
- 千曳(ちびき):千人もの多人数で引くこと。また、それほどの重さのもの。
- 祥獣(しょうじゅう):中国の伝説上の動物のひとつ。
- 稗官(はいかん):身分の低い小役人。
- 仮名垣魯文(かながきろぶん):文政一二(1829)生~明治二七(1894)。戯作者・新聞記者。
象渡来の背景
当瓦版の最後に文久三年(1863)弥生(新暦で四月)上旬とあります。
則ち幕末であり、遡ること一〇年前に嘉永六年(1853)六月にペリー来航。安政五年(1858)六月に日米修好通商条約が調印されて、神奈川が開港しました。瓦版の始めに、この象はヨーロッパ人人が印度で生け捕って新港横浜に渡来、とあります。
周知の事実か、本文では条約調印や開港については一切触れていません。然しながら普通考えて条約後の開港によって、招かざる客だけでなく象という珍客もやって来た――とみてもよいでしょう。
史料情報
- 表題:象見世物絵
- 年代:文久3.弥生.上旬/一登斎芳豊 画・仮名垣魯文訳 誌、版元:通油町 藤岡屋慶次郎
- 埼玉県立文書館寄託 小室家文書5780
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