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宗門人別帳10

目的・決意表明_宗門人別帳10

史料

① 安政二年九月

結びの言葉_宗門人別帳_安政二年

※無断転載禁止

② 安政六年九月

結びの言葉_宗門人別帳_安政六年

※無断転載禁止

解読文:原文

安政二年九月

差上申一札之事、一 前書之男女之代々拙寺檀那ニ紛無御座候ニ付、銘々名前致印形差上申候、若法度之切支丹邪蘇宗之由、訴人有之候ハヽ、拙寺何方まても罷出急度申分可仕候、以上、安政二卯年九月

武州高麗郡今市村法恩寺末寺、同州同郡上野村、真言宗・多門寺㊞、武州高麗郡今市村法恩寺門徒、同州同郡平山村、真言宗・法眼寺/三枝宗四郎様、御役人衆中

前文 現代語訳

一通の文書を差し上げます。一つ前述は男女は代々拙寺(真言宗 多門寺・法眼寺)檀那に間違いございません。銘々名前に押印し差上げ申します。もし法度のキリスト教徒の趣旨について訴え出た人がいましたら、拙寺は何方までも罷り出て必ず弁解します。以上、安政(1855)年九月(以下略)

同六年同月

武州高麗郡今市村法恩寺末寺、同州同郡上野村、真言宗・多門寺㊞、武州高麗郡今市村法恩寺門徒、同州同郡平山村、真言宗・法眼寺㊞、三枝宗四郎様、御役人衆中

右之通当村中宗門人別不残相改書上申、若壱人も隠置申し候ハヽ、当人者不及申ニ名主組頭何様之曲事二も可被仰付候、当村中百姓召抱下男下女共宗門之義者、相改寺請手形為取替申候、為後日一札差上申候所如件/安政六未年九月

後半 現代語訳

右の通り当村(平山村)中の宗門人別は、残らず改め書き上げ申します。もし一人でも隠し置いていましたら、当人は申すに及ず名主・組頭にはどのような不法も仰付けください。当村中の百姓、召抱えの下男下女ども宗門のことは改め、寺請手形を為替せ申します。

後日のため一通差上申しますところ上記の通りです。安政六未年(1859)九月

解説

用語

  1. 寺請(てらうけ):キリシタンではなく、寺院の檀徒(だんと:檀家の人々)の人々であることを檀那寺に証明させた制度。

その他(固有名)

  • 今市村:史料に武州高麗郡とあるが、前頁村の総人口にも書いたが、古くは高麗領も近世は同州入間郡。
  • 平山村:史料表紙にはっきり書いてあるように、こちらも高麗郡でなく入間郡。
  • 三枝宗四郎様:平山村は、宝永六年から旗本三枝氏の知行一給)。

現在の戸籍との違い

史料安政二年(1855)の文章は、前頁史料同六年とほぼ同じで、宗門人別帳の目的や決意が書かれています。

「宗門」人別帳が現在の戸籍や住民票と違うのは、まず第一に村にキリシタンがいないことを証明すること。だからこそ百姓たちの名前や年齢の前に、一人ひとり「旦那」であることを書いて押印しているのです。

かくして人別送り状(戸籍の異動届)銀次郎娘とよ平蔵娘ちよの史料にも、同様にキリシタンでないことが証明されています。

史料情報

  • ① 武蔵国入間郡平山村宗門人別御改帳:埼玉県立文書館所蔵 平山家1309
  • ② 同表題:同館所蔵 平山家1313
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宗門人別帳

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