解読文:原文
安政二年九月
同六年同月
- 同寺㊞旦那 娘・たけ㊞九才、〆三人内㊞男壱人・女弐人
解説
用語(安政二年)
- 多時(たじ):久しい間。
- 無住(むじゅう):住職のいない寺院。
村名
- 今市村(いまいちむら):武州入間郡の一。現在の埼玉県入間郡越生町(おごせまち)。
- 上野村(うえのむら):武州入間郡の一。現在の上記同町。
概要
史料・宗門人別帳に記載の旦那寺は、入間郡上野村の多門寺と同郡平山村の法眼寺。
史料は表紙のとおり「入間郡平山村の」宗門人別帳なので、当頁の人数合計は当村の総人口になります。
安政期は、同元年(1854)に日米和親条約、同二年には江戸に直下型の大地震が起こりました。平山村の人口は地震の年一一九人から同六年(1859)一一八人とほぼ変わりなく、男性が二人増えて女性が三人減少。ちなみに当村の最高齢は、同二年は4.家主・文蔵八六才、同六年は13.家主・幸蔵の母みつ八六才です。
家数は数件の異動がありましたが、平山村全体で両年ともに二四家に変わりありません。しかし当村の化政期の家数は四〇軒[文献]だったので、四〇~五〇年前に比べると半分ちょっと減ったことになります。人口減少は当村に限ったことではないので、幕府は文政の改革を断行しました。
参考文献
- 『角川日本地名大辞典11 埼玉県』(角川書店、1991年)「平山村」737頁
史料情報
- ① 武蔵国入間郡平山村宗門人別御改帳:埼玉県立文書館所蔵 平山家1309
- ② 同表題:同館所蔵 平山家1313
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