原文:解読文
安政二年九月
- 一 此者儀者、楡木村・新助請ニ而召抱申候、酒造人・吉兵衛㊞五十六才
- 一 此者儀者、川角村・次郎吉請ニ而召抱申候、下男・増五郎㊞二十九才
- 一 此者儀者、長瀬村・源之助請ニ而召抱申候、下男・小十郎㊞二十五才
- 一 此者儀者、阿訪諏村・新五郎人主而ニ召抱申候、下女・よね㊞十七才
- 一 此者儀者、森戸新田村・勘太夫人主ニ而召抱申候、下女・いと㊞廿一才
同六年同月
- 同寺㊞旦那 嫁・のふ㊞廿六才、同寺㊞旦那 孫・れき㊞八才、同寺㊞旦那 同・斎藤山二郎㊞五才
解説
村名
- 楡木村(にれぎむら):武州高麗郡の一。現在の埼玉県日高市。
- 川角村(かわかどむら):同州入間郡の一。現在の埼玉県入間郡毛呂山町(もろやままち)。
- 長瀬村:入間郡の一。現在の2.と同町。
- 阿諏訪村(あすわむら):入間郡の一。現在の2.と同町。史料では阿「訪諏」と逆さに記載。
- 森戸新田(もりどしんでん):入間郡の一。現在の1.と同町。。史料で森が異体字。
- 馬場村:入間郡の一。現在の2.と同町。
- 葛貫村(つづらぬきむら):入間郡の一。現在の2.と同町。但し史料で貫が愛のくずし字に近い。
用語
出替り者の下男下女
史料について、安政六年(1859)1.斎藤左司馬家では、新たに孫の斎藤山二郎五才が誕生。すなわち年齢は数え年で、安政二年(1855)生まれで一から数えます。歴史的仮名遣いにより嫁のふは「のう」と発音。
宗門人別帳は現在の戸籍と違って使用人の記載があり、酒造人・吉兵衛が五六から六〇才と年を重ねています。それ以外の下男・下女は全て入れ替わっています。
儒者の荻生徂徠は『政談』(享保一二(1727)頃成立)で、武家は譜代者ではなく一年契約の「出替り者ばかりを召し使う」ことを憂えていました。
斎藤家は宗門人別帳に記載される名主すなわち百姓の家ですが、『政談』から一三〇年ちかく経過。江戸時代後期の農村はいよいよ荒廃し、出替り者も増えはしても減りはしなかったでしょう。
史料のくずし字については、村名が当てがつかず難読でした。
参考文献
- 『角川日本地名大辞典11 埼玉県』(角川書店、1991年)
史料情報
- ① 武蔵国入間郡平山村宗門人別御改帳:埼玉県立文書館所蔵 平山家1309
- ② 同表題:同館所蔵 平山家1313
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