江戸時代の女性LIVE
『こもなれ』4頁「古文書教室をLIVE感覚で再現したいと思います」を表現したらこうなりました。
こんな教室絶対に行きたくない。というわけで、お蔵入りにしていただいてよかった。それなのに何故わざわざサイトに上げてしまったのだろう…。罪に罪を重ねた罪滅ぼしに「ライブ」を広辞苑で引いてみると「生放送。劇場・コンサートなどでの生演奏。」などとありました。
江戸時代の音楽は思いがけず『女大学』に詳しく、琴・三味線は「女子の嗜(たしな)み」だけれども「たゞ乱(みだ)れざるを以(もつ)て、淑(よし)とすべきなり」[音楽活動 詳細]。
三味線という楽器が琉球から日本へ伝えられたのは戦国時代末。出雲の阿国(おくに)が歌舞伎興行の伴奏に使ったことから、歌舞伎の発展とともに三味線音楽も発展、今日もその地位を堅持しています。
…というカタイ話はきほん『こもなれ』にはない反面、イラストを見てもわかるように未熟なときの本であることは否めません。反面当時でなければ、活き活きとした初学者向けの本は書けなかったようにも思います。
本のあとがき
そんな未熟な私は、本のあとがきの誰それにありがとうございました、というのに常々ウンザリしていたので、著作の『こもなれ』には身内はもちろん出版社・編集者、関係者に対してお礼は全く書きませんでした。
恐らく書かない方が難しいと思います。一般の企業活動のごとく、もちろん本の制作も著者一人で作るというものではありません。拙著に関していえば本のタイトル自体、出版社が考えてくれたもの。広告も打ってもらったし(読売新聞!)、陰ながらの営業も多々あったに違いありません。
しかし一般企業においては、どんなにミスをしようが世話になろうが、外に向かって身内に感謝を表明する「場」はそもそもない。そうした理屈を出版に対しても通すことが、果たして本当によかったのか。今でも疑問に残るところです。
けだし感謝を言い出したら印刷会社、流通センターやドライバー、書店などに対しての礼儀はどうなるのか。よって預めテレビ番組や映画のテロップのごとく、預め「出版サイドで」関係者氏名を書く仕様にしてもらった方が読者にしてもスッキリするかと思います。
例えば編集者・田中太郎、校正・山田花子、DTPオペレーター・佐々木淳、営業・松田健太…やはりどこまで書くのかが問題になりますが、一頁五〇人以上いけそうだ。よって書きたければ父・斎藤文太、母・トラ、叔母・加藤澄江、恩師・渡辺辰之助、旧知・高橋誠、大家・伊藤純……。※あくまで「仕様」例です。
ひるがえって私は自分の専門であろう世界に対しても在野で、出版業界にしたって中の人ではないので事情よくわからないまま、筆を置いた。というところが実情です。感謝を伝えるって難しいですね。
参考文献
花咲一男(監修)「音曲」『大江戸ものしり図鑑』(主婦と生活社、2000年)348-349頁